歴史ネタ

2016年大河ドラマ『真田丸』に学ぶ!戦国武将真田 幸村!!


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 真田幸村旋風なるか!

数多くの大名が活躍した戦国時代。

室町時代の中ごろから安土桃山時代を経て、江戸時代の初期まで150年にも及びました。

いくつかの時代区分をまたいだ群雄割拠の乱世だったのです。

その終盤に名をはせたのが、大河ドラマ『真田丸』の主人公、真田幸村(真田信繁)です。

滅びゆく豊臣方を代表する武将として活躍しました。

正しくは真田信繁ですが、真田幸村の方がわかりやすいので、ここでは真田幸村と表記します。

『真田十勇士』を代表に、真田幸村を英雄としてあつかった

「軍記物」「講談」「小説」「ドラマ」「映画」などがたくさんあります。

戦国武将の中でも、一二を争う人気の高さです。

戦国時代はいつからいつまで・・・

 

戦国時代の始まりは「応仁の乱」(1467~1477)だといわれてきました。

室町時代の8代将軍足利義政の後継者をめぐっておこったのが「応仁の乱」です。

最近では、同じく将軍の跡目争いである「明応の政変」(1493)だとする説が有力です。

 

戦国時代の終わりについては、大きく分けて3つの説があります。

1、織田信長が足利義昭を追放して室町幕府が滅んだ1573年とする説。

(近い考え方に信長が安土城を築城した1576年とするものもあります。)

2、徳川家康が覇権を握ることになった1600年の「関ケ原の戦い」とする説。

3、、豊臣秀頼が自害し、秀吉の流れが滅んだ「大坂の陣」(1614、1615年)とする説です。

真田幸村が主人公なので、「大坂の陣」が決着する1615年としたいと思います。

 

「真田丸」のキャストは? その1(幸村とその周辺)

まず、真田幸村と周辺の主なキャストを見ていきましょう。

「リーガルハイ」や「半沢直樹」で大ブレークした堺雅人さんが主人公の真田幸村。

堺さんとしては3度目の大河への出演です。

 

敵役的な存在感のある脇役、主役のパートナーとしての準主役、主役とどんどんランクアップしています。

長澤まさみさんがドラマのヒロインとなる、「きり」を演じます。

「きり」は真田幸村の側室で、真田家の重臣・高梨内記の娘です。

 

真田一族については、兄・真田信之(真田信幸)を人気者の大泉洋さん

真田昌幸を草刈正雄さん姉・松(村松殿)を木村佳乃さんです。

 

真田幸村に仕える忍者・猿飛佐助を演じるのは吉本新喜劇出身の藤井隆さん

真田家の忍者を取り仕切る・出浦昌相(出浦盛清)は刑事役などで活躍している寺島進さんです。

 

「真田丸」のキャストは? その2(主要なキャスト)

NHKの番宣みたいになってしまいますが、どんどん続けていきます。

大物の三英傑については、

織田信長を吉田鋼太郎さん、豊臣秀吉を小日向文世さん、徳川家康を内野聖陽さんがそれぞれ演じます。

内野さんも3度目の大河出演になります。

 

本木雅弘(モックン)が主役だった「徳川慶喜」では弟の徳川慶篤を、

2007年の「風林火山」では、自身が主役の山本勘助(武田信玄が信頼した名軍師)を演じています。

幸村にとっては生涯にわたって最大の宿敵となる家康を内野さんがどのように演じていくのかは目がはなせません。

 

豊臣の家臣では、幸村の義父になる大谷吉継を片岡愛之助さん石田三成を山本耕史さん

徳川家康の家臣では名参謀・本多正信を近藤正臣猛将・本多忠勝を藤岡弘さんが演じます。

 

女性陣も豪華で、

秀吉の正室・北政所役を鈴木京香さん、秀吉最愛の側室・茶々(淀君)を竹内結子さん、

家康の側室・阿茶局を斉藤由貴さんが演じます。

 

それにしても、主役級が勢ぞろいで本当にスゴイ顔ぶれですね。

真田幸村の父・真田昌幸はどんな人?

 

真田幸村の父・昌幸は真田幸隆の三男です。武田晴信(後の武田信玄)の近習として仕えました。

才智と武勇を備えていたので、信玄に重用されました。そんなことから

武田一門の武藤家の養子となり、武藤喜兵衛を名乗ります。

 

しかし信玄の死から2年後の1575年「長篠の戦い」で武田軍は織田・徳川連合軍に敗れました。

その際に、2人の兄が討死したので、真田家を継ぐことになりました。

 

さらに1582年には「天目山の戦」で信玄の子・勝頼が自刃したため武田家は滅亡しました。

それ以後は、生き残りのため織田、北条、徳川、上杉へと渡り歩くことになります。

最終的には天下人・豊臣秀吉に仕えました。

 

真田昌幸の名を世に知らしめたのは、「関ケ原の戦い」です。

石田三成の西軍についた昌幸は幸村とともに信濃・上田城で徳川秀忠軍を迎え討ちました。

秀忠軍3万8千に対して真田軍は2千と劣勢でしたが、秀忠軍の惨敗に終わりました。

 

そのため、秀忠は「関ケ原の戦い」に間に合わず、家康から厳しく責められたといわれています。

こうしたことから、「家康は昌幸を恐れた」といわれています。

しかし、西軍が敗れたため、幸村とともに高野山に近い九度山に配流されました。

その地で居(ちっきょ)させられ、1611年に病死しました。

居とは武士や公家に科せられた刑罰の一つです。閉門の上、自宅や配流先などで謹慎させられます。

真田幸村とはどんな人物?

真田幸村は父・昌幸の次男として生まれました。

本来の名前である「信繁」は武田信繁からとったそうです。

 

武田信繁は信玄の実弟です。武田軍の副将を担う名将で、武田二十四将の一人にもあげられるほどです。

1561年の「川中島の戦い」(第4次川中島の戦い)で戦死しました。

 

講談や軍記物では、幸村が若いころの武勇伝も紹介されています。

でも、「関ケ原の戦い」までは、父である昌幸の影響力が強かったと考えるべきでしょう!

 

幸村は才智と武勇に優れた名将・昌幸のもとで良き補佐役として力を蓄えていきました。

西軍が敗れたので、父と一緒に久度山に配流されました。

 

しかし、豊臣秀頼の強い願いを受けて、久度山を脱出し長男・幸昌をつれて大阪城入りをはたします。

大阪城の弱点であった三の丸の南側に出城をつくります。

 

これが大河のタイトルにもなっている「真田丸」です。

松平(越前)、前田(加賀)などの猛攻撃を打ち破りました。

続く「夏の陣」でも伊達政宗の軍を撃破するなどの戦果をあげました。

味方の武将が相次いで討死したため劣勢になります。

 

意を決した幸村は家康の本陣に攻め込みます。

さすがの家康も死を覚悟したとさえいわれています。

しかし、徳川の優勢は揺るがず、四天王寺(大阪市内のお寺・聖徳太子が建立)の近くの神社で命を落としました。

 

幸村は勇敢なだけでなく、昌幸ゆずりの権謀術策にも優れていました。

そのため、幸村の名を恐れる武将が多かったといわれています。

 

真田家のその後は?

「関ケ原の戦い」で真田家は東西両軍に分かれることになります。

昌幸と幸村が西軍、長男の信之(信幸)が東軍として戦いました。

 

幸村が西軍となったのは、石田三成の盟友であった大谷吉継と

縁戚関係にあったからといわれています。

また、昌幸と幸村が家康と相いれなかったもいわれています。

 

信之が東軍となったのは、すでに徳川家康の家臣であったからです。

信之の才能を評価した家康は小松姫(重臣・本多忠勝の娘)を養女にして、

信之と結婚させました。

信之にとって家康は主君であると同時に、義理の父でもあったのです。

 

色々な解釈はありますが、弱小大名としての生き残るための方法ともいえます。

後に真田信之は信濃国松代藩の藩祖となります。7代目で養子を迎えますが、

真田家は松代藩主として幕末まで続きました。

 

真田家の家紋「六文銭」

真田といえば「六文銭」の旗印に赤備え(あかぞなえ)が有名です。

赤備えについては後ほどにゆずるとして、「六文銭」について見ていきます。

六文銭(六連銭)には「三途の川の渡し賃」という意味があります。

 

真田軍は「不惜身命(ふしゃくしんみょう)の決意で戦にのぞんだ」ともいわれています。

「不惜身命」とは仏教用語です。

仏道のために身も命も惜しまないという意味です。

 

こうしたことから、命を顧みず勇敢に戦おうとする気概があらわれています。

この「六文銭」を旗印として使い始めたのは、幸村の祖父にあたる幸隆だそうです。

 

ただし、大坂の陣では幸村軍は「赤備え」のみで「六文銭」の旗印は使わなかったようです。

「家康の家臣である兄の一族に配慮したのではないか」と考えられています。

 

赤備えって一体何?

「赤備え」とは、戦国時代の部隊・軍隊の編成のことをいいます。

鎧や甲冑、具足などの武具を朱塗りしたものです。

旗印、旗差物も統一していました。

 

その色を出すためには高価な辰砂(たっさ)という鉱物を使用しました。

また、戦場では大変、目立つので精鋭部隊が使用しました。

「赤備え」として知られるのは、武田、真田、井伊の3つです。

中でも「武田の赤備え」が一番有名です。

 

信玄の父・武田信虎の家臣であった飯富 虎昌がはじめたといわれています。

それは、山県昌景や小幡信貞、浅利信種らに引き継がれたので

武田騎馬軍団の代名詞にもなりました。

 

武田滅亡後、残された武田の家臣の多くは徳川家康の配下に加わりました。

旧山県隊を配下に持った井伊直正が自らの部隊を「赤備え」で編成しました。

実際に井伊直正は徳川軍の精鋭部隊を率いていました。

 

 

真田が「赤備え」を使ったのは「大阪夏の陣」だけです。

武田とゆかりの深かった真田ですから、

赤備えにこめた気持ちはわかるような気がします。

まとめ

日本では「滅びの美学」「判官びいき」などの言葉が好きですし良く使われます。

忠臣蔵、新選組、源義経などが長く愛されるものそのためです。

これは真田幸村にも当てはまります。

 

幸村は情勢を分析できる武将でしたから、「大坂の陣」で敗れることはわかっていたはずです。

豊臣家の復興、真田への恩賞などを願って戦列に加わったのではありません。

 

「強大な力を誇る家康に一矢報いたい」とも思いだったにかもしれません。

同じ時代に生きた黒田長政や島津忠恒らが幸村の生き様を褒めたたえています。

次のページは⬇︎

戦国武将ガイド『徳川秀忠』に迫る・・・2代目はツラいよ!!


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